プリキュア5

さて、プリキュア5を見終わったので、現行にするつもりで長文書いてみた。そうすると、フレプリとハトプリも記憶が鮮明なうちに書いておいた方がいい気がしてきた…。
原稿のつもりで書いたので、文体がそれっぽいです。
G+に書いた物を多少修正して転載。

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プリキュア5について。
 プリキュア5をどんな物語かについて考えてみた。
 まず、プリキュアの敵であるナイトメア。これは、あからさまというか、ストレートに大企業の比喩だろう。
 プリキュアをおそう“怪人”達はそのまんま大企業ナイトメアの社員である(バイトもいたが)。プリキュアに負ける事による業績不振を、仮面をかぶった社員に囲まれた会議室で上司より責められる。
 負けがこんできた社員に渡されるのは「黒い紙」である。「黒い紙」は魔力を持ったアクセサリーみたいな物ではなく、明らかに“紙”である。自分はかってに「社畜契約書」と呼んでいるが、ナイトメアが会社組織とすると何らかの契約書か誓約書の類の書類であろう。「黒い紙」は強大な力を手にする代償に失敗すると闇に取り込まれ消滅してしまうと言う諸刃の剣だ。大企業ナイトメアのために死ねという誓約書で、つまり、会社のために死ぬ事を運命づけられたかのような「社畜」である。なので、「社畜契約書」となる。
 次に、バイト戦士ガマオの存在だ。彼は一つの仕事が長続きせず、職を転々とするフリーターだ。プリキュアを倒す(ドリームコレットを奪う)という一攫千金を狙っている。そして、いつも何か食べているプリキュア達と対比するかのように、ガマオはいつも飢えている。おそらく、ガマオが飢えていなければプリキュアを襲わなかったのではないかと考えている。つまりそれは、貧困と犯罪の問題である。
 つまり、ナイトメアとは会社組織を模倣しつつも、現代社会の映し鏡となっている。

 一方でプリキュアは、というか、メインを張るのぞみは本当におバカでアホの子だ。勉強が出来ないどころか、運動も出来ない。これといった特技もない。しかし、実に愛しいキャラだ。
 のぞみは何かにつけて「けってーい!」と根拠や裏付けのない自信でプリキュアの5人が行う事を決めてしまう。
 一見、そんなのぞみのどこに魅力があるのかがわかりづらいし、わからないという人も多いだろう。
 「アホの子がカワイイ」と言った場合、「自分より劣り、自分に害のない物がカワイイ」という意味を含む場合があるが、のぞみの場合はちょっと違う。数々の困難になにも考えず立ち向かう姿が希望に見え、それが輝いていて、うらやましくあるのだ。また、「なにも考えて無さそう」的な感じから、「絶望の中でも希望を持ちそう」と連想できるのだ。
 その感じ方は筆者がいわゆる“おっさん”というのもあるかもしれない。おっさん故に、一見無謀に見える若い子の行動は輝いて見えて、あこがれさえするのだ。
 若い子とおっさんという対比を出したが、この構造は、プリキュア対ナイトメアの構造にも軽く当てはまる。もちろん、おっさんはナイトメア側だ。おっさんである故に(若い人より)絶望の度合いも知っているし、無意識に希望を持っていい内容を、選別している。そしてナイトメア側にちょっと感情移入すらしている。バイトのガマオ君や中間管理職のブンビーさんに哀愁を感じる。中盤、ブンビー直轄の部署が“成績不振”という事でカワリーノ直轄の部署に吸収され、ブンビーは平社員と同等程度の扱いになる。
 ナイトメアに感情移入が出来る部分があると同時に、のぞみを代表するプリキュア側の“若さ”に可能性も感じる。彼女たちはまだ中学生だ。中学生ならば身の丈に合わない希望を持っていても当たり前だと思うし、可能性は否定したくない。彼女たちはその思いを裏切らず、最後まで希望を持って困難に挑む。繰り返しになるが、そこに、あこがれを見いだす。

 一連の最終決戦もすばらしい出来になっている。強大な敵の力になすすべもなく、座り込んでしまい絶望的な状況下で、彼女たちは、まるで、日常の雑談をするように、将来の夢を語りだす。パワーの象徴としての“プリキュア”として自信を失った彼女たちは、将来の夢を語る事を依り代に絶望を希望へと変えていくのだ。その姿は「そんなの不可能でしょ」的な年長者による心なき残酷な言葉を打ち砕くものだ。そして、その、希望のプリキュアは、「根拠のない『けってーい』」を繰り返してきたのぞみがいてこそなのだ。盲目的に成功する姿だけを信じられる姿は、いちいち細かい事を考えない、のぞみだからこそできたといえる。
 その強大な敵、カワリーノを打ち破ったプリキュア達はラスボスのデスパライアと対峙する。“プリキュアの力”で叩きのめすかと思いきや、デスパライアに“心がある”と感じたのぞみが取った行動は、プリキュアの変身を解く事であった。つまり、最後の最後で、力による解決より、話し合いによる解決を選んだのだ。ナイトメアとの決戦という非日常に“日常”の姿で挑んだ時点で、のぞみの勝ちである。そう、プリキュアの姿でいれば、パワーインフレの文法で叩きのめす事はできるが、対話を求められ、それに応じた時点で、プリキュアに絶望を与える事が組織の命題だったナイトメアは崩壊するのである。プリキュアのコスチュームはバトルのためのものだが、逆説的に私服が最強のコスチュームになる。なにせ、ナイトメア達はいくらパワーが強くても、輝いている彼女たちの日常以上の物を持ち合わせてないのだから。つまり、彼女たちの日常はデスパライア以上の強さを持ち、それは、自身のプリキュアとしての姿よりも強い。

 余談的になるのだが、パルミエ王国の復興への道筋も興味深い。物語的には、ドリームコレットを利用する事による「願い」によって、パルミエ王国を復興するかに思えたが、ドリームコレットは、敵に利用されるという、絶望のためのアイテムになった。その絶望の中に見えた希望は「臣民が生きていた」事だった。一瞬、領地問題が頭をかすめたが、パルミエ王国の跡地は荒れ地だという。ここで、「ココとナッツ、どちらが新国王にふさわしいか」という話になり、「二人の王でいい」という話になるのだが、個人的には「国王はいらない」という話の流れが望ましかった。ココとナッツの作中の行動を見れば、労働者として、市民として国を支えるという姿も想像できるからだ。このあたりは「民主国家より王国の方がロマンチック」ということかもしれない。

 まとめると、プリキュア5とは、わかりやすいテーマとしては「夢」と「希望」であり、それを体現しているのが「のぞみ」というキャラクターである。のぞみを好きになればストーリーの方もすんなり入り込めるだろう(もっとも、のぞみを好きになると、ココにヤキモチを焼く事になるのだが…)。もちろん他の個性豊かなキャラクター達を好きになるのも物語に入り込むきっかけになるだろう。
 隠されたテーマとしては、ナイトメアという現実である。ナイトメアが現実性を帯びていて生々しい所があるので、余計に、のぞみ達の「根拠のない『けってーい』」を貫いて欲しいと思うのである。

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今日は役所に書類出しに行こうと思ったけど、明日も用事ないから寝るのに専念しようと思ってなにもしなかった罠…。明日(すでに今日)は祝日じゃん…。
寝起きの判断力のなさってどうにかならんもんだろうかw

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今日のシェイプボクシングもおやすみ。
体重は+0.1kg。
誤差みたいなものだけど、増えた分が減らない。
なんか今日は太った実感をひしひし…。
5月から20kg増えているんじゃないか…?(汗
でもまだ“貯金”はあと10kgある。
って、あと○kgって考えは危険だよね。

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今日のラブプラスもさくっと。