スイートプリキュア最終回

いやぁ、スイートプリキュアが最終回。
思えば1年前、スイートプリキュアを追っかけだしたのがプリキュアシリーズを全部見て総論を書いてしまおうという今に繋がっているんだな…。
良い最終回だったけど、来週は素直にスマイルプリキュアを楽しめそう。逆説的にハトプリを(ほぼ)リアルタイムで追っかけて無くて良かった。好きすぎてスイプリが辛い作品になっていた可能性。
まあ、今の「アニメは沢山見る」という姿勢からするに見る事は見たと思うけど。

で、スイプリの考察書きました。

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スイートプリキュア

プリキュアの正体

 スイートプリキュアのエンターテイメント性の一つに「誰がプリキュアか?」という“謎解き”があったと思っている。
 プリキュアは1話完結が基本で、スイートもその例に漏れないのだけど、話をまたぐ“大きめな物語”もいくつかあった。その一つに、序盤(6話)から謎のプリキュアキュアミューズ」を登場させ、その正体は誰? という所がある。同時進行でプリキュアの妖精役であるハミィのかつての親友だったセイレーンが敵のリーダーとして立ちはだかる。大きなお友達的には、「セイレーンは後々仲間になるな」とかなり早い段階から感じていた(フレプリという前例もあって)。主に筆者の話になるが、その二つの要素を合わせて「もしかしたらセイレーンがキュアミューズなのではないか」と勘違いさせる仕組みは十分にあったと思う。序盤ではセイレーンがいつ仲間になるか、キュアミューズが誰なのかというのが物語全体を引っ張る要素だったと思える。制作者側の“おとり”もいくつか仕組まれていたと思う。セイレーンがキュアミューズに“変装”できるのも引っかけに思えるし、聖歌先輩と和音の名字がそれぞれ東山、西島で、北条響南野奏とあわせ、名字の1文字目が東西南北でそろう、というのも“おとり”をつかった錯乱作戦であろう。名前だけではなく、聖歌と和音は他のモブキャラクターと違い、髪の毛の色が金髪と青色でいかにも「プリキュアになってもおかしくない」感じを醸し出していた。
 筆者のツイッターの記録をたどると、12話で「キュアミューズはセイレーンだろう」的に、13話で「えええ! セイレーン=ミューズじゃないの?」というリアクションをしていた。それでもなお14話の時点で「ミューズ=セイレーンの気がする。良心が分離したみたいな形で。」とつぶやいている。まんまと制作者側の手のうえで踊っていたわけである。しかしそれは嫌な感じではなく、まるで推理ものの犯人を推理しているかのような感覚に近く、十分に楽しめた。そして、4人目出る出る詐欺で気をもんだのだけど。
 そして、ようやく21話で、セイレーンがキュアビートになる。「キュアミューズの正体は誰?」という謎を残したまま、4人目(チームとしては3人目)を出し、後半へ繋いでいく。そして、キュアミューズの正体がわかるのは35話になる。さらにその後5話ぐらい、アコ/キュアミューズメインの話が続く事になる。
 そういった流れで、スイートプリキュアは「誰がプリキュアか?」という「ワクワクした妄想」を受け手側に示した作品になっている。

■“軽い”プリキュア

 スイートプリキュアは意図的に“軽く”作られていたように感じる。メフィストと3バカは敵してはあんまり怖くない。ハートキャッチのダークプリキュアのような圧倒的強さと怖さを持った敵キャラもいなし、セイレーンは中盤にさしかかる前にプリキュア側に寝返る。また、話としても、ハートキャッチでは個々のゲストキャラの心のネガティブな部分に焦点を当てていて濃厚な物語だったが、スイートでは、序盤に響と奏がちょくちょくケンカするものの、仲直り前提のケンカにしか見えなく、いわば「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」的な状態だ。
 正直、筆者はハートキャッチは別格と言えるぐらい好きだが、スイートの“軽さ”は悪いこととは思わない。濃厚な物語にはどうしても「敷居の高さ」という問題が出てきて、初めて見る人にも楽しめるという意味では“軽さ”は多少なりともプラスに働くと思っている。
 そして、スイートではコメディ回も多かった。これも、敷居を低くするのに作用して、「簡単に楽しめるプリキュア」というポジションを作ったと思っている。この“軽さ”言い換えれば“敷居の低さ”が「プリキュアが誰か?」という楽しみ方に繋がったり、後述の「みんなプリキュア」に繋がっていっていると考える。

■小学生プリキュア

 プリキュアのメインターゲットは4、5歳〜10歳ぐらいの女児だろう(大きなお友達を除く)。アニメで対象視聴者と同年代の主人公を出すという手法はよく見られるが、今までのシリーズのプリキュアの主人公は中学生(主に中2)であった。中2というのは先輩も後輩もいるし、女児達から見れば「あこがれの女性」的に見える年齢でもあるのだろう。また、あまり根拠のない自信に裏付けられた「希望」を掲げるプリキュア達は高校生よりも中学生の方がピンと来る。高校生になると、部活にしろ勉強にしろ遊ぶにしろ大人(プロ)に近くなり、プリキュアとの兼業が難しくなるというのもあるかもしれない。あまり良くない分析とは思うが、高校生より中学生の方が伸びしろがあるという事かもしれない(実際には社会人になってものびしろはあると思うのだが)。ハートキャッチに高校生プリキュアのゆり/キュアムーンライトが出てきたが、彼女は「先輩」であり「未亡人」的に描かれていて、単純に高校生というだけでなく、「大人」として描かれていたと思う。
 そして、スイートプリキュアの小学生プリキュアである。ちょっと斜に構えてみれば「8シリーズも重ねてきたプリキュアの中での変化球」と見れなくもない。後述するが、小学生のプリキュアというのは、対象視聴者にかなり近づいた存在で今作のテーマの重要な要素になっている。
 プリキュアというのは女児達にとってあこがれで、あこがれであるが故に「ちょっと手が届かない」存在であるのを求められている。おそらく、そのために、「小学生のプリキュア」を出したものの、「お姫様」という“あこがれ属性”を持っていたのだろう。しかし、日常パートでのアコはちょっとツン要素があるものの、身近な存在であろう。いわゆるツン、もしくはクールタイプで「どじっ子属性」や「アホの子属性」が無いのは、「お姫様属性」との兼ね合いと考えられるが、「身近」と「あこがれ」をかなりバランスよく表現したキャラクターと言える。
 この、小学生プリキュアを出すために35話引っ張ったといってもそんなに過言ではない。

■みんなプリキュア

 キャラクターとしての「プリキュア」とは“伝説の戦士”であり、神秘的な力とアイテムによって、変身し、「悪と戦う」事であり、「普通の女の子」では安々とプリキュアになれない。安々とプリキュアになれないという部分があこがれに繋がるのだろう。「プリキュア」はファッションであるとも言えるのだけど、今回はその部分は省略したい。
 スイートプリキュアも終盤にさしかかるまでは「ハートのト音記号」と変身アイテムが無いと変身出来なかった。
 ここで、クリスマス回である。ハートのト音記号を無くした状態でどうやって変身するのだろうと思わせておき、そのハートのト音記号はメイジャーランドの神秘的な力ではなく、個々が持つ心こそがハートのト音記号としたのである。
 つまり、誰でも気持ちを強く持てばプリキュアになれるとしたのである。故意的に現実と混同させるが、変身アイテムのキュアモジューレとフェアリートーンはお店で買ってこればいいのである。

■悲しみも苦しみも受け入れる

 そして、最終話である。
 白くなったノイズを象徴として、「悲しみも苦しみも受け入れる」とした。
 スイートプリキュアの年は大震災という理不尽で受け入れがたい災悪があった年である。それでも前に進むためには「受け入れる」しかない。「普通の人」では、その現実を受け入れるのは辛いことだろう。しかし、スイートプリキュアでは、「強い心を持てばみんなプリキュア」とし、「あなたもプリキュアなんだから、勇気を持って現実を受け入れようよ」という、プリキュア制作者側のめいいっぱいの励ましだったと受け取っている。
 最終話の演出としては、ラストに変身シーンのBGMを流し、変身バンクに入ると見せかけ、日常シーンの後日談的話を見せて、最後は変身して締めた。つまり、スイートのプリキュア達はスイートプリキュアという物語が終わった後でもプリキュアであり続けるという意味に取れる。筆者は「みんなプリキュアなんだから、物語が終わった後でもプリキュアでいて良いんだよ」とも解釈する。
 「震災でシナリオが変わった」というインタビューがあるが、「みんなプリキュア」というテーマはおそらく構想段階から練られていたであろう。「悲しみも苦しみも受け入れる」についても、敵勢力を「マイナーランド」「不幸のメロディー」「ノイズ」としたところから、それらも音楽の一部だという「基本設計」だったと思っている。一緒に歌を歌うという行為は身近な「ハーモニー」である。ハーモニーにプリキュアの力を見いだすのなら、「みんなプリキュア」というのは妥当な流れだろう。
 つまり、スイートプリキュアは震災があろうが無かろうが応援メッセージ的テーマを持っていて、震災の影響で応援の部分が強調された作品だと考えている。
 最終回1話前の47話でストーリーとしては不自然なほど「不幸は超えてみせる」というセリフが繰り返されたのは「応援メッセージ」を強調していたのだろう。
 後年スイートプリキュアを振り返る時、筆者はおそらく「大震災の年のプリキュア」という語り方をするであろう。推測の域を出ないのだが、プリキュア制作者側が大震災に対して最大限出来ることをプリキュアという作品で最大限示したと感じる。
 最後に余談的ではあるが、「大震災とプリキュア」とした時に、「プリキュア達が守ろうとした“日常”は大震災で大きな被害を受けたけど、みんなで頑張って復興しよう」という物語が出来る可能性もあると考えている。しかし大震災はあまりにもトラウマすぎるので、それと向き合う「プリキュア」は10年後、20年後でも遅くないと思っている。

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ここまでの書き溜で4作の考察がプレーンテキストで28KBもあるんだが、マジでどうしようw
あと4作書いてないんだよね。
書いてないのは、今見ているMHと5GOGO。それと、何となく書きそびれているフレッシュ、相方がプレゼン的チャート風な図で解説している原稿が手元にあるハートキャッチ。
ハートキャッチは好きすぎて逆に書きづらい感じかな。まあ、相方の原稿と合わせて少し書くぐらいかな。
装丁どうしよう。マジで印刷所に発注するかな。A5 表紙1色+本文モノクロで100部68ページが29000円か。
表紙1色だと用紙の色とインクの色のチョイスが重要なのとレイアウトがごまかしきかないな…。
1部600円としても、有名人のキュアまこぴー氏本より売れる気がしないので、50部とかはけないだろうなぁ…。

30部は売れるとして、そうすると11000円の赤字か。いける気がしてきた!w

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今日のシェイプボクシングもおやすみ。
体重は-0.5kg。
久しぶりにがっつり減った気がする。まあ、それでもまだ増加傾向だけど。

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今日のラブプラスもさくっと。